ブルーノ・マーズの生い立ちを振り返ってみる
今、世界でもっとも勢いのあるアーティスト、ブルーノ・マーズ。
今回は、そんなブルーノがスターダムを登りつめるまでの生い立ちについて、掘り下げてみたいと思います。
ブルーノ・マーズは、1985年のハワイ、ホノルル生まれ。父親はプエルトリコ出身、母親はフィリピンの出身だそうです。
お父さんもアーティストだそうなので、ブルーノのたぐい稀なる音楽センスは、お父さん譲りのカリブの血なんですね。
幼少の頃は、プレスリーのモノマネが得意で、テレビ番組に出演することもあったほど上手だったそうです。ブルーノはこの頃から音楽の才能を開花させていたんですね。
高校時代はバンドを組んでいたそうで、現在でも時々ドラムを披露しています。そして高校卒業後はホノルルからロサンゼルスへ旅立ちます。
借金生活も経験する苦労人だった
そんなブルーノ・マーズですが、当時から今に至るまで、ずっと順風満帆でスター街道を歩んできたわけではありませんでした。
ロスに渡ってからは、こちらもまだブレイクする前のNE-YOと縁があり、曲作りやパフォーマンスなど、アーティストとしての極意を学んだそうです。
そして2004年、弱冠18歳のブルーノ・マーズは、モータウン・レコーズと契約を結びます。モータウン・レコーズは憧れの存在だったので、とても喜んでいたそう。
このまま順調に行くかと思いきや、たった1年で契約を解除されてしまいます。行くあてもなく路頭に迷い、借金をしていた時代もあったんだとか。
そこで彼は、毎晩パブでステージを披露する、地道な活動を始めます。
ブルーノの存在は徐々に知られ始め、プロデューサーであるフィリップ・ローレンスの目に止まります。この出会いがきっかけとなり、アトランティックレコードとも契約。
そしてついに2010年、B.o.B ft. Bruno Marsとして「Nothin' on You」をリリースすることに。全米チャート1位を記録する大ヒットに結びつきました!
その年、薬物所持で逮捕されるなどのアクシデントを経験しながらも、デビュー曲「Just the Way You Are」をリリースし、こちらも全米やヨーロッパ、日本を含む世界的な大ヒットとなりました。
現在はアーティストへの楽曲提供の他、フィリップ・ローレンスとのプロデューサーチーム「the Smeezingtons」としても活動するなど、その才能を存分に発揮しています。
ブルーノは自身の下積み時代を振り返り、「あの頃の経験は自分にとって貴重な経験だった」とのちに語っています。
ホノルルから18歳で単身ロスに渡ったことで、自らチャンスを切り拓いていったブルーノ・マーズ。どんなに才能のあるスターでも、下積み時代を経験して今があるのですね!